「うたごえ運動」について
運動の出発点
日本のうたごえ運動の出発点は、1948年、関鑑子(せき・あきこ)を中心とする専門家の指導と民主的青年組織の活動により発足した中央合唱団である。この当時、戦後の荒廃の中で現状の変革と民主主義を求める国民の要求が燎原(りょうげん=火が激しい勢いで野原を焼くの意味)の火のようにひろがっていた。うたごえ運動は、これらの国民の様々な要求と音楽との結びつきを基礎として出発した声による創造と普及の活動である。
運動の原点
運動の原点は、その活動や音楽を通じて国民の生活の真実を積極的にうたいあげ、平和と民主主義、生活をまもる闘いに音楽を役だて、音楽を、国民の生活を前進させる力にしてゆくことである。本来は音楽そのものがこういう役割を果たすべきである。うたごえがめざす音楽とは生活を前進させる音楽であり、同時に「本来果たすべき機能と役割」を十分発揮することをめざす。
運動の特徴と成果
この目標と課題を持つ音楽運動は、現在の日本ではうたごえ運動だけである。うたごえ運動はこの原点を一貫して追及しながら、発足当時の夢や目標をひとつひとつ実現して、今日に至っている。うたごえは、1)社会的運動が大きく高揚し、2)うたごえが、その時点と情勢にふさわしい真実・個性ゆたかな音楽を獲得し、3)専門家の適切な協力・援助があったとき、以上3つの条件が結びついたときに、めざましい発展をしてきたのである。
長野合唱団誕生
1952年3月8日、国際婦人デーの集会が長野市東後町の東本願寺別院の境内にある保育園で開かれました「米、みそ、しょうゆ値上げ反対」のスローガンに警察が逮捕のおどしをかける中、集まった約100人が輪をつくり肩組みあって歌いました。歌で景気をつけたのです。この集会がうぶごえであり初舞台となって、長野青年合唱団が誕生しました。
創立当時の長野青年合唱団は楽譜を読めるものもほとんどいないありさまでしたが、12月に中央 合唱団創立4周年音楽会「1952年日本のうたごえ」に代表4名が参加し、直後開かれた「第2回全国合唱団会議」の中で作曲・発声・歌唱法・うたとおどりの講習を受けて帰り、早速報告会が開かれ ました。地域のうたごえのセンター合唱団として活動していくことが確認されました。そして、"みんな 歌う会"の広がりにつながっていくのです。
そして、1955年長野合唱団に改称、1956年に第1回発表会が開かれ、1957年には50人を超える合唱団になり第2回発表会が 開かれました。(曲目については過去の定演の記録へ)しかし、ここから徐々に団員が急減し苦しい冬の時代が続きます。実に9年のブランクを経て1966年に第3回発表会がようやく開かれるのです。
(1973年第10回発表会より定期演奏会に改称。)・・・